東方正教会〜キリスト教はカトリックとプロテスタントだけじゃないよ〜

 

東方正教会を知っていますか

イコン

キリスト教というと、カトリックとプロテスタントがあることは大半の人が知っています。歴史の教科書にも出てきますしね。

それでは、東方正教(ギリシャ正教)(オーソドクス)はどうでしょうか?
東方正教会は、正教会、ギリシャ正教、正統カトリック教会、東方教会、ビザンツ教会などとも呼ばれます。
古代ギリシャの文化的伝統を背景に、コンスタンチノーブルを首都する東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の国教として長らく発展してきました。

「ギリシャ正教」の「ギリシャ」は現在の国としてのギリシャを意味しません。広くローマ帝国の共通語として用いられた言語、ギリシャ文化の伝統を意味します。

日本においては、「日本ハリストス正教会」といいます。「ハリストス」とは、「キリスト」のギリシャ語読みです。

どうしても馴染みのうすい東方正教会ですが、ギリシャやロシアに旅行する際や、ドストエフスキーやゴーゴリといったロシア文学を読む際には、基本的理解があると非常に楽しくなると思います。

教義

西ローマ帝国のローマ・カトリックとは1054年に分離しました。
信者は世界中に2億人います。

信仰の源泉に旧新約聖書をおき、正典39典のほか、外典が含まれます。
東西教会の分離前に開催された7つの公会議によって定められた使徒信条、ニケヤ・コンスタンチノーポリス信教等の信仰規範、ならびに東方教会聖師父の文章などを教義根幹とします。

ローマ教皇の首位権や煉獄の存在、聖母マリアの処女懐胎や被昇天を認めません。
イコン(聖像画)を崇敬し、原罪やキリストによる十字架の贖罪よりも、キリストの復活によって実現した救いの喜びを強調します。

儀礼

礼拝

キリスト教には各種の儀礼があり、カトリックでは「秘蹟(サクラメント)」、正教では「機密」と呼ばれます。
プロテスタントでは「聖礼典」と呼び、聖公会では「聖奠(せいてん)」と呼びます。

正教の機密は全部で7つあります。

  1. 「洗礼」
  2. 「堅信・傳膏(ふこう)」
  3. 正餐(要するに聖体拝領のミサ・聖体礼儀)」
  4. 「告解・痛悔(こっかい、つうかい)」
  5. 「叙階・神品」
  6. 「結婚・婚配」
  7. 「(病人への)塗油・聖傳(せいふ)」

ちなみに、プロテスタント諸会派およびイギリス聖公会は「洗礼」と「正餐」の二つだけしか認めていません。

機密

正教の礼拝堂はプロテスタントはもちろん、カトリックと比べても美しく荘厳で、また祭服が非常に壮麗です。
機会があったらぜひ見学してみたいですね。

礼拝堂

組織

教皇のような存在はいませんが、コンスタンチノーブル総主教は、すべての主教の首座にあります。
その下に各総主教がいるのですが、その中でもコンスタンチノープル、アレキサンドリア、アンテオケ、エルサレムの4つの総主教区は歴史的経緯からいって特別の存在です。

アンテオケ

その他の総主教として、ロシア、グルジア、セルビア、ルーマニア、ブルガリアがあり、大主教としてキプロス、ギリシャ、アルバニア、シナイ、フィンランドがあり、府主教として、ウクライナ、ポーランド、アメリカ、チェコ、スロヴァキア、日本があります。

聖職者の位階は、主教、司祭、輔祭となっています。

特徴

イコンがあるのが大きな特徴です。イコンとは、イエス・キリスト(イイスス・ハリストス)、聖人、天使、聖書における重要なできごとやたとえ話、教会史上の出来事を画いた画像をいいます。

聖三位一体

正教は思弁的・形而上的・瞑想的であり、カトリックは倫理的・実践的・活動的であるとされています。

イコン3

イメージとしては、ドストエフスキーの『罪と罰』や神田のニコライ堂を思い浮かべていただければいいと思います。

ニコライ堂

歴史

コンスタンチノープル一体は、古代キリスト教の中心地であり、ギリシャ神学はもとより、ヘレニズム文化の影響を濃厚に受けていました。ラテン語圏のカトリックに対し、正教はギリシャ語圏でした。

カトリックとは分離して以降、ずっと仲が悪かったのですが、トルコ人の台頭に脅威を感じ、共同戦線を張ろうとしたこともあります。1274年の第二リヨン公会議と1439年のフィレンツェ公会議においてですが、結局手を組むことはありませんでした。

ローマ教皇はあくまで聖ペトロ以来の正統性を主張し、上に立とうとしましたが、東方正教会としては、「プゲラ) 何いっちゃってんの、頭おかしいんちゃう」という感じでした。ヘレニズムとヘブライニズムの文化的土壌のもと、少なくともルネサンスまでは、正教会側のほうが圧倒的に文化的水準において上だったのです。

そんな正教会ですが、1453年にオスマン帝国のメフメット2世によってコンスタンチノープルが陥落し、ビザンツ帝国は終焉を迎え、正教会はイスラム教の下におかれることになります。

コンスタンチノープル陥落

コンスタンチノープル陥落2

その後は、コンスタチノープルからモスクワに正教会の系譜が移りました(とロシア人は主張しました)。

第一のローマ、第二のローマとしてコンスタンチノープルがあり、今ここに第三のローマであるモスクワがその正統を継ぐというわけです。
そして最終的にはロシア皇帝がメシアとなって神の王国に君臨すると信じていました。

ピョートル大抵

その後、第1次大戦の結果、ギリシャはトルコから独立し、ギリシャでは現在も正教が盛んです。
他方でロシアは、革命によって宗教が禁止され、ソ連崩壊まで宗教は弾圧され、不遇の時代を送りました。

そして今でも世界中に2億人もの信者がおり、キリスト教世界において東方正教会は重要な地位を占めています。

 

宗教的にも歴史的にも文化的にも大変重要な東方正教会。
西欧重視の日本ではどうしても影が薄くなりがちですが、これを機会にいろいろと触れてみるといいかもしれませんね。

 


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