ノルマン人が攻めてきたぞ! 英国史シリーズ(2)

 

ノルマン人の侵略
ヘイスティグスの戦い

ノルマン・コンクエストについて以前書いたことがありますが、もう少しいきさつについて語りたいとおもいます。

イギリス王室はいつ始まったか

果たしてノルマン・コンクエストとは何だったのでしょうか。
そして、イギリスとは、イギリス人とはいったい誰のことをいうのでしょうか。

ウィリアム征服王ことウィリアム1世(ノルマンディー公ギヨーム)は、ノルマン・コンクエストによってイングランドの王位を継承します。
ノルマン人が侵入するまでのイングランドは、サクソン人の王族によって支配されており、その最後の王様がハロルド2世でした。
ハロルド2世は、ウェシックス伯ゴドウィンと、デンマーク青歯王(ブルー・トゥース)ハラルドの孫であるギサの間に生まれた王でした。

はろるど2世

ハロルド2世の前の王、エドワード証誓王が、自分に子がないことを理由に、従兄弟であるウィリアムに王位を継がせると約束してしまったのです。

正統なるサクソン王家の地を受け継ぐハロルドからすれば、そんな個人的な約束など知ったことではありません。
議会を味方につけて、さっさとウェストミンスター・アベイにて戴冠してしまいます。

しかし、ウィリアムとしては約束された王座です。
1066年9月28日、ノルマンディー公であるウィリアムはイングランド南岸のペブンジーに上陸します。

これを迎え撃つべくハロルドは兵を南下させ、10月14日、両者はセンラック(現在のヘイスティングスの辺り)で激突します。

世に名高い、ヘイスティングスの戦いです。

ヘイスティングスの戦い

この戦いで、ハロルド2世は目に矢を受けて戦死してしまい、天下分け目の戦いは1日で終了いたします。

ハロルドの母であるギサの申し出により、ハロルドの遺体はロンドン郊外北部のウォルサム・アベイに埋葬されます。

ハロルド2世の墓

 

ノルマン・コンクエストとは何だったのか

イングランド王とはいえ、ともにノルマン人を討てというハロルドの命に、モーカー伯やエドウィン伯といった領主は応じておらず、結局「イングランド一国vsノルマンディー公」という図式ではなく、あくまでハロルドの私兵がウィリアムの進撃に対応したというのが実情のようです。

イングランドの各領主は、ウィリアムが来た後でも、ハロルドと同様にぬるい関係を続けられると高をくくっていたようで、実際には剽悍なノルマン人に蹴散らされてしまい、ここからイングランドの封建時代が始まります。

ウィリアムは、イングランドに来ると同時に、カンタベリーとヨークの大司教の争いに裁定を下したり、イングランド最初の土地台帳(世に名高いドゥームズデイ・ブック)を作成するなど、着々とその地盤を固めていきます。

こうしてウィリアム率いるノルマン人たちが、イングランドの地を寇掠したわけですが、そもそもがそれ以前のハロルドたちサクソン人たちとて、4―5世紀に大ブリトン島を侵略した部族に過ぎないわけです。

アングロサクソン起源

このアングル人、サクソン人、ジュート人たちは、もともとデンマーク・スカンジナビアン半島を起源とする部族で、いわゆる「ゲルマン民族」の一部です。
(※「ゲルマン民族」という言葉は多分に歴史的誤謬をはらんでおり、本来正しい用語ではないのですが、あえてわかりやすく用いています)

ノルマン人ももちろんスカンジナビアン半島やバルト海沿岸を起源とする北方系ゲルマン人なので、なんのことはない、サクソン人もノルマン人も同じ穴のムジナがやってきてブリトン島を侵略したにすぎないのです(もっというとそれ以前に侵略していたデーン人なんてモロ北方系ゲルマン人)。

サクソン人より前には、ローマ人やケルト人がいたわけですが、彼らだって大陸から侵略してきたわけですからね。
もともと「ブリトン島」という名称も、フランスのブルターニュ地方に住んでいたケルト人の一種であるブルトン人がこの島にやってきたがゆえに、ブルターニュ半島を「小ブリトン」、そしてこの島を「大ブリトン島」と呼ぶようになったのです。

なので、イギリスの正式名称は「グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国」という、きわめて地理的な要素に基づく名称なのですが、かつての日本人はこの「大ブリトン島」のいきさつをしらず、固有名詞の一部を形容詞と勘違いして、「大英帝国」と誤訳してしまったというわけです。

ブリトン人

話があっちこっちに飛びましたが、こうしてみると、「ノルマン・コンクエスト」といっても、一体誰が誰を征服したのか、そもそも原イギリス人(イングランド人)とは何なのか。
つってもそもそも「イングランド」という地名自体が「アングル人の土地」という意味だし、原イングランドといっても適正じゃない。
じゃあ「ブリトン人」ならいいか、といってもブリトン人も侵略者のケルト人だし(笑)。
一体、どういう部族が、この島の本来的な住人なのかというとわからなくなってしまうわけです。

なので、ある程度擬制的に「えいや」で決めてしまうわけですが、今でもイギリスの教科書には「1066年 イングランド王家の始まり」とあるわけですし、エリザベス2世が来日時に「我が始祖ウィリアム征服王以来・・・」とおっしゃっていることからもわかるように、今の英国王室はノルマンディー公ギヨームを始祖としているので、それでいいじゃないかというかたちになっているわけです。

所詮、歴史なんて人がどう理由づけるかってものに過ぎないのですからね。

 


You may also like...

2 Responses

  1. 2014年12月15日

    […] ノルマン人が攻めてきたぞ! 英国史シリーズ(2) […]

  2. 2015年3月5日

    […] 英国史シリーズ(1) ノルマン人が攻めてきたぞ! 英国史シリーズ(2) ノルマン・コンクエストのその後 […]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。