1914年6月28日 もう一つの事件

 
よく、第一次世界大戦によって、4つの帝国が滅びたと言われます。
オスマン帝国、オーストリア=ハンガー二重帝国(ハプスブルグ帝国)、ドイツ帝国、それにロシア帝国(ロマノフ朝)です。

前回は、大戦の引き金となったオーストリア皇太子暗殺事件の謎について書きました。

1914年6月28日 鳴り響いた運命の銃声

結果的に大戦によってオーストリア=ハンガリー二重帝国は滅びてしまうわけですが、同じ日の1914年6月28日、日曜日。
遠く離れたロシアのトボリスク市に近いポクロフスコエ村でも暗殺未遂事件が発生していました。

被害者はラスプーチン。

ラスプーチン

「怪僧」と呼ばれ、ニコライ2世の宮廷で比類なき権勢を誇っていた男です。

当時、ラスプーチンは生まれ故郷であるポクロフスコエ村に、娘のマリアを伴って帰郷していました。
このポクロフスコエ村はシベリアのまっただ中にあり、シベリア流刑の後、解放された囚人たちによって開かれた村でした。

サンクト・ペテルブルグからポクロフスコエ村に向かう道中、マリアは、ダヴィドゾーンと名乗る記者に話しかけられます。
しかし、マリアにはこの新聞記者の声に聞き覚えがありました。
それは、以前に自宅に電話をかけてきた男の声で、電話の声の主は「あなたに恋をしている」と告げ、何度かかかってきたものでした。
男の容貌はまるでさえなかったので、マリアは失望したのですが、彼は2,3日同じ村に滞在すると告げたのでした。

 

そして運命の日曜日。
午後2時ごろ。

郵便配達夫がラスプーチン宛の電報を届けにやってきました。
ラスプーチンは電報を読むと、家から飛び出し、配達夫を追いかけました。

そのとき、一人の女がラスプーチンに近づいてきたかと思うと、やにわに躍りかかって怪僧の下腹部にナイフをぶっ刺しました。

ラスプーチンは逃げながらも、道に転がっていた棒で女の頭を殴りつけました。
女は村人たちに捕らえられました。

あのユダヤ人新聞記者のダヴィドゾーンもこの暗殺未遂事件を目撃していまいた。
この男は事件を目撃した後、電報を打ちに行き、そのまま戻ることはありませんでした。
マリアに恋をしているはずなのに、実に奇っ怪なことです。

ラスプーチン

ラスプーチンが刺されたのは1914年6月28日の午後2時頃です。
サライェヴォで、皇太子夫婦が兇弾に倒れたのは、同日の午前11時でした。
サライェヴォとポクロフスコエの時差は3時間ほど。

遠く離れた地において発生した、大戦によって滅びた2つの帝国における重要人物の身の上に降りかかった2つの禍々しい事件。
おどろくべきことに、この2つの事件はほぼ同時に発生していたのでした。

 

 


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