世界最初の大王

 

最も古い帝王は誰か

世界の歴史において、最初に登場する支配者は誰でしょうか。

始皇帝でしょうか、キュロス大王でしょうか、アレクサンドロス大王でしょうか。

いやいやそれよりはるか昔に偉大な支配者が存在しました。
それがアッカド帝国のサルゴン大王です。

古代メソポタミア文明

世界の文明の中でももっとも古い文明とされる古代メソポタミア文明。
チグリス河とユーフラテス河に挟まれた肥沃な円錐型の地域であるメソポタミアは2つの地域に分かれ、上流の地域をアッシリア、下流の地域をカルディアまたはバビロニアと呼んでいました。
そしてカルディアにはさらに北部のアッカドと南部のシュメールという地域が存在しました。

MesopotamiaMap

カルディア地方には、紀元前6000-5000年頃、東洋系農耕民族であるシュメール人が定着し、独特の文化を作り上げました。
やがてアラビア砂漠からセム系の遊牧民アッカド人がカルディアに侵入し、シュメール文化を吸収しながらその北部に定着しました。

圧倒的な支配者サルゴン大王

サルゴン大王は紀元前2300年代に活躍したアッカド帝国の大王です。

サルゴン

サルゴン大王は、生後すぐにユーフラテス川に流され、庭師に拾われて育ったとされていますが、これはモーゼやロムルスとレムス兄弟、ペルシアのキュロス大王と同じような棄児伝説であって、その史実性は定かではありません。実際に庭師の子供だったという説もあるそうです。

アッカドの有力な国家の一つ、キシュ王朝に仕えていたサルゴンですが、その力量によってやがてキシュ王朝を倒し、自ら王位につきます。
その後、シュメール地方の最有力国家であるウルク王国を攻略し、シュメール地方を支配下に治めます。

サルゴン大王率いるアッカド帝国の勢いは留まるところをしらず、東方の強国エラムを討つべくペルシア湾に出、そこから北上してエラムの首都スーサを陥落し、アッシリア地方のシュバルトウ王国も撃破します。こうしてメソポタミア地方はすべてサルゴン大王に帰することになりました。

東西南北の四海の王

普通はメソポタミア征服で満足するところですがそこはやはり世界最初の帝王です。並みの支配欲ではなかったのでしょうね。
メソポタミア支配に飽き足りず、ユーフラテス沿いに西に進み、アムル王国を征服し、キプロス島を下し、シリア地方も征服してしまいます。

サルゴン大王は、当時世界の構成する東のエラム、西のアラム、南のバビロニア、北のシュバルトウ(アッシリア)をすべて支配したため、「東西南北の四界の王」と称されるようになりました。

もっとも、こうしたサルゴンのオリエント支配伝説の中には実際にはサルゴンが征服していない都市名が含まれているという説もあります。

いずれにしても、首都アッカドは大いに栄え、ペルシア湾を通じた交易を進め、交通、郵便制度、文学、芸術にいたるまで、文化文明が大きく発展したと言われています。

サルゴン大王が築いたのは世界史上初の統一帝国でした。
そして彼こそが、世界初の帝王といってよいでしょう。

帝王の濫觴

彼の後、バビロニア第一王朝のハンムラビ大王、バビロニア第二王朝のネブカドネザル二世、イスラエル王国のソロモン大王、アッシリア帝国のアッシュール・バニパル、ペルシア帝国のキュロス大王、ダレイオス大王、マケドニアのアレクサンドロス大王、秦の始皇帝といった偉大な帝王たちが登場してくるわけです。

サルゴン大王は彼らの先陣を切って歴史に現れた偉大な先駆者でした。
上記に挙げたその後の帝王たちはすべて彼の影響を受けていると言えるかもしれません。

サルゴン2

 


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1 Response

  1. 2014年10月28日

    […] (※サルゴン大王については、こちらをどうぞ。世界最初の大王) […]

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