龍馬愚童伝説の真相 〜坂本龍馬の真実〜

 

龍馬伝説の真相

前回、このような記事で、坂本龍馬にまつわる様々な逸話の源泉がどこにあったかについて触れました。

坂本龍馬の真実

さて今回以降では、我々が小説やテレビドラマで知っている坂本龍馬の姿の何が本当で、何が虚像なのかということについて解き明かしていこうと思います。

幼いころの龍馬は落ちこぼれだった!?

坂本龍馬に関する多くの小説や伝記では、 その幼少期について触れられており、大抵の場合、龍馬が落ちこぼれだったとされています。
そこでは、虚弱な鼻垂れ小僧で、十歳を過ぎてもおねしょをしていたとか、のろまで賢くなかったため周りからいじめられており、塾も辞めさせられたため姉の乙女に指導を受けていたといったような逸話が紹介されているのです。

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しかし、果たしてこのような「龍馬愚童伝説」はいったいどこまで本当なのでしょうか。

前回紹介した、坂本龍馬に関する重要史料を見てみましょう。

坂崎紫蘭『汗血千里駒』

龍馬は十二、十三歳の頃までは、あまりその行いの沈着にして、小児のごとく思えず、あたかも愚人に等しく、わけて夜溺の癖さえあれば、そのともに凌ぎ侮らるる事あれども・・・

瑞山会編『維新土佐勤王史』

彼はすでに十四歳をすぐるも、特に夜溺の癖を経たず、父といえどもその遅鈍なるに大息せしが・・・

千頭清臣『阪本龍馬』

世の龍馬伝曰く、初め龍馬は怯懦にして暗愚なるが如く、居常寡黙、十歳を過ぎても夜溺(寝小便なり、土佐の方言)の癖止まず。隣人称して洟垂(痴児の意、亦土佐の方言なり)といふ。十二歳の時、始めて市外小高坂楠山(或いは志和ともいふ)某の学舎に入りしも、業進まず、通学の途上、屡々学友に揶揄せられ、泣きて家に帰る。されど時を経るに従ひ、識量漸く群を抜き、大器晩成の称を得たりと。真か偽か、今之を断ずるに由なけれど、四、五の逸事、猶ほ雲龍の片鱗を描くものなきにあらず。

これを受けて、司馬遼太郎も龍馬を愚童として描いています。

司馬遼太郎『竜馬がゆく』

十二になっても寝小便をするくせがなおらず、近所のこどもたちから「坂本の寝小便ったれ」とからかわれた。からかわれても竜馬は気が弱くて言い返しもできず、すぐ泣いた

文字を教えられても、竜馬のあたまでは容易におぼえられない様子なのである

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龍馬が覚醒するのは、日根野道場に通って剣の道を目指してからというのが巷間伝えられるところです。

瑞山会編『維新土佐勤王史』

剣術を日根野弁治に学ぶや、不思議にも基質頓に一変して別人のごとく、その技もまた儕輩を凌ぐに至れり

それまで愚図でのろまだった少年が立派な青年剣士としてたくましく成長するくだりは、世の中のダメ少年を強く励ましたことでしょう。

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しかし、これらの「龍馬愚童伝説」は、いずれも説話の域を出ず、事実の確認ができないものであるとされています。
すでに「偉人」「英雄」として確立している幕末の風雲児が、幼いころは愚図でのろまないじめられっ子であったという逸話は、それ自体が非常におもしろいものであるし、なんといっても読者の共感を得やすいのです。

これらの愚童としての逸話は、いずれも後世の創作である可能性が高いと思われます。

龍馬愚童説、または愚童伝説は、龍馬が大器晩成の型の人物であったことを証明するための補強材料として語り継がれ、さらに拡大再生産されている

山田一郎『坂本龍馬ー隠された肖像』

愚童神話を踏襲した、千頭清臣も増補版では以下のように語っています。

先輩に依れば、坂本は決して馬鹿者にあらず、子供相当分別のありし人なりきと云ふ

龍馬の教養レベル

なお、幼いころの龍馬が、小高坂村にある楠山庄助塾にかよっていたのは事実ですが、上士の子と喧嘩して退塾したという説もあり、実際の退塾の理由ははっきりしないところです。

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千頭清臣『阪本龍馬』

学舎において痛く友人に嘲笑せられ、怫然剣を抜きてこれを斬らんとし、たちまち一場の騒動を惹起してより、これより断然文筆を廃し、武を修めたり
余、早くより学を廃し、今は不幸にして無学者となれり

一つ明らかなことは、龍馬がそのために漢学を十分にならっていなかったということです。
龍馬は和歌を読むことはできたため、歌は何首か残されていますが、当時の武士の基礎教養とも言える漢詩は作ることはできませんでした。
この辺りから、後に龍馬が作ったとされる「船中八策」「新政府綱領八策」の文章は、龍馬自身によるものではないという結論が導き出せます。

龍馬の乙女あての手紙は多く残されており、平仮名をつかった口語体で書かれています。
しかし、これはあくまで女性宛の手紙であったからこそこういった文体になっているのであって、武士宛の手紙ではきっちりとした文語体で書かれています。
龍馬が形式にとらわれない自由な文章だったというのは片面的評価で、ある程度の文章を書ける程度の教育は受けていたのでしょう。

以上、少年期の坂本龍馬の真実についてでした。

 


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1 Response

  1. 2015年6月1日

    […] 龍馬愚童伝説の真相 〜坂本龍馬の真実〜 龍馬の謎―徹底検証 […]

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