ドイツ帝国の必勝作戦 シュリーフェン・プラン

 

シュリーフェン・プランとは

開戦当時、ドイツには、とっておきの作戦がありました。

それが「シュリーフェン・プラン」です。

Schlieffen_Plan

世界一の陸軍国ロシアと、ナポレオン以来の大陸軍(グラン・ダルメ)を受け継ぐフランス。
この2大陸軍大国に挟まれたドイツを生かすための必勝の両面作戦。それが、シュリーフェン・プランでした。

作戦の発案者、アルフレート・フォン・シュリーフェンは、あの「大モルトケ」の後の2代後のドイツ帝国陸軍参謀本部総長でした。

シュリーフェン
普仏戦争以降のドイツの外交政策は、フランスの孤立を維持することを原則としていました。
しかし、1890年にビスマルクが失脚すると、露仏同盟によって、ドイツが対フランス・ロシアの二正面作戦に直面する可能性は高まってしまいました。

そこで、ドイツ参謀総長シュリーフェンは、二正面戦争解決の手段として、フランスを全力で攻撃して対仏戦争を早期に終結させ、その後反転してロシアを全力で叩こうと考え付いたのです。
ロシアはその国土の広大さと鉄道などの輸送手段の整備の遅れから、前線への集結までに時間がかかると見ていたためです。

シュリーフェン・プラン原案

しかし、このシュリーフェン・プランは1906年にシュリーフェンの後を継いで参謀総長に就任した小モルトケによって修正されました。
原案では、西部戦線右翼での攻勢正面を広く取るためにマーストリヒトでオランダの中立を侵犯するとされていましたが、小モルトケの修正案では、ベルギーとルクセンブルグの中立は原案どおり犯すが、オランダの中立侵犯は避けるとされました。

シュリーフェン・プラン修正案

いずれにしてもベルギーは通過されるわけです。
ベルギーからしたら「うちは通路ちゃうで!」と文句の一つもいいたくなるところ。

いずれにしても速攻でフランスを片付け、返す刀でロシアを叩く!
これがシュリーフェン・プランの枢要です。

大モルトケの狙い

さて、陸軍参謀本部の創設者、大モルトケはこのようなことを考えていたのでしょうか。
大モルトケのプランでは、まず戦力を東に差し向けてロシアと戦い、西のフランスに対しては堅く守ることとなっていました。
まさにシュリーフェン・プランとは真逆の作戦です。

しかし、なぜ大モルトケはそのようなプランを立てたのでしょうか?
ロシアは国土が広いため、多少撃破したとしても降伏まで追い込むのは至難の業です。

実は大モルトケの狙いはもっと高いところにありました。
堅守に対して業を煮やしたフランスが取るべき道は、ベルギー経由の迂回攻撃。
まさにシュリーフェン・プランの逆です。
フランスが中立国を侵犯するような手段に出れば、外交上のデメリットは大きく、国際世論を味方につけることができる・・・これこそが大モルトケの考えでした。

大モルトケ

大モルトケの大前提には、国際政治においてドイツが孤立しないことがありました。
イギリス、フランス、ロシアのうち、とにかく1カ国とは手を組み、少なくとも2対2の状況を作り出すことにあったのです。

しかし、大戦前のドイツは1カ国の独力のみで、フランスとロシアを相手に勝利する作戦を欲していました。
その結果、生まれた鬼子がシュリーフェン・プランだったのです。

シュリーフェン・プランの実際

8月末から9月はじめにかけては、ドイツの作戦は好調に進み、パリを脅かし、実際にフランスは政府をパリからボルドーに移しました。
ドイツは、講和会議に備えてフランスへの要求書面を用意しているくらいでした。

しかし、この頃から伸びきった補給線での兵站に不調の兆しが見え始め、ドイツの快進撃に限界が見え始めます。
大きく方針転換し、パリの手前を目指すように作戦を修正したのもの、9月5日にジョッフル元帥率いるフランス軍にマルヌで大敗北を喫します。
ここへきて、シュリーフェン・プランは完全に破綻します。
参謀総長の小モルトケは陸軍大臣のファルケンハインに職を譲ります。

ここから戦線は膠着し、泥沼の塹壕戦が続き、ひたすら人命と物資が消耗されていきます。

 

このように破綻に終わったシュリーフェン・プランですが、修正された上で、およそ15年後に悪夢のように復活します。

そう、ナチス・ドイツと、アドルフ・ヒトラーとエーリッヒ・フォン・マンシュタインによって。

ヒトラー

マンシュタイン

 

 

 

 


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