イギリス王室はいつ始まったのか?
ウィリアム王子とキャサリン妃の間にジョージ王子が誕生したことでますます注目を集めている英国王室。
ダイアナ妃の死亡事故以来、その要否についてイギリスでも議論がありましたが、今のところはやはり王室を慕う声が多いようです。
日本の場合、一応紀元前2660年に神武天皇から皇室が始まったこととなっていますが、イギリスの王室というものはいつ始まったのでしょうか?
ここで問題となるのは「イギリス」って何?ってことで、この間スコットランド独立問題が騒がれたように、イギリスは4つの地域からなっており、特にスコットランドは1707年にようやくイングランドと統合されたわけで、いってみればついこの間一緒の国になったわけで、それまではまったく別の国だったわけです。
そういう意味で、ここでいう「英国王室」とは、「イングランドの王室」ということになりますが、それですらいつから始まったのかははっきりとしているわけではありません。
土着のブリトン人がいて、そこへケルト人が大陸から侵入してきて、さらにローマ人が攻めてきて、その後アングル人、サクソン人、ジュート人が攻めてきたわけです。アルフレッド大王なる偉大な王様もいたのですが、その後もイングランドは散り散りバラバラになっているので、やはり現在の王室の淵源をこの辺りに求めるのは無理がありそうです。
ウィンチェスターにあるアルフレッド大王の銅像
ノルマン・コンクエスト
そこでノルマン・コンクエストです。
これは1066年、ノルマンディー公のギヨーム(ウィリアム)が、大ブリトン島に攻め込み、そのまま王様となった事件をさします。
ギヨームはノルマン人なのですが、ノルマン人というのはバイキングの一部のことで、スカンジナビア半島を起源としていますが、ヨーロッパ中を荒らしまわって、その一部族がフランスに領土をもらって暮らしていたわけです。
そして、このギヨームが創めたのが、いわゆる「ノルマン朝」でこれがイギリス王室(イングランド王室)の始まりというわけです。
問題は依然として、ギヨームは本国フランスにおいては、あくまでノルマンディー公としてパリのフランス王室の家臣であったことです。
彼は当然フランス語を話していましたし、王の直臣180名のうち、アングロ・サクソン系はわずか6名に過ぎず、16司教座のうちアングロ・サクソン系が占めたのはたったひとつでした。
ギヨームはノルマンディー公ギヨームのうえに、イングランド国王ウィリアム1世となりましたが、その後王室は、ウィリアム2世、ヘンリー1世、スティーブン王、ヘンリー2世、リチャード1世、ジョン王と継承されていきますが、なんのことはない、ウィリアムはギヨーム、ヘンリーはアンリ、リチャードはリシャール、ジョンはジャンと、いずれもフランス語由来の名前であって、英語由来の名前ではないわけです。
英語由来の名前の王様はエドワード1世まで待たなくてはなりません。
スカンジナビアからきたバイキングの末裔で、フランス貴族でフランス語を話す連中が王様を名乗っているわけですから、こうなるといったいどこの国の王様なんだろう?と思わずにはいられません。
近代国家以前の中世国家
あらためて考えてみると、イギリス、フランス、ドイツといった今の国家は、あくまで近代以降に成立した国民国家であって、中世にはそのような明確な国家の境界はありませんでした。実際にイギリスは長い間フランス国内に領土を持っていましたし、ヘンリー3世がフランス国王の地位を主張したことによって百年戦争がおきたことからわかるように、彼らにもイギリスとフランスの間の明確な線引きはなかったわけです。
むしろ百年戦争などによってフランス国内の領土を失うことによって、イギリスという国がかたちづくられていくのですが、その話はまた別の機会に。
勉強になりました!わかりやすいです。
神武天皇即位は紀元前2660 年ではありません。
紀元前660。
イギリスの王室が、日本の皇室とは、始まりや起源において根本的な違いがあることを知ることができ、ありがとうございます。やはり、日本の皇室は、別格ですね。