アッシリア帝国以降のオリエント世界
サルゴン大王のアッカドが栄えた後、全オリエント世界は紀元前1000年を過ぎた頃から、アッシリア帝国の支配下に入ります。
(※サルゴン大王については、世界最初の大王をどうぞ)
そのアッシリア帝国も、紀元前612年、メディア王国、新バビロニア王国によって滅ぼされます。
アッシリア帝国以降は、新バビロニア王国を中心に、東のメディア、北のリディア、南西のエジプトの四大王国が並立していましたが、エジプトと新バビロニアが新しい覇権を競って争うカルケミッシュの戦いで、バビロニアのネブカドネザル2世がエジプトを撃破します。
ネブカドネザル2世は、あのイラクのサダム・フセイン大統領が自らになぞらえた王で、ユダヤ人をバビロンに連行する『バビロンの捕囚』でも知られています。
古バビロニアで最も有名な王様はハムラビ大王ですが、新バビロニアではなんといってもこのネブカドネザル2世が有名です。覚えておきましょう。
史上空前の大帝国の創始者=キュロス大王
「バビロンの栄華」を誇る新バビロニア王国を中心にオリエント世界が回っていたその時、東のメディア王国のその属国であるペルシア太守カンビセスに一人の息子がいました。彼はまた同時に、メディア王アスティアゲスの娘の息子でもありました。
少年は幼少のころよりメディアに人質に出されていましたが、長ずるにつれて、なぜペルシア人がメディアに屈していなければならないのか、ペルシア人は独立して自らを支配者とすべきだと考えるようになりました。
成長し本国に帰った少年は、紀元前550年、メディアの重臣ハルパゴスと通謀し、挙兵します。そのままメディアの首都であるエクバタナを吸収し、祖父アスティアゲスを捕虜にし、メディアを滅ぼしてしまいました。
下は、マンガ『ヒストリエ』でハルパゴスがメディア王を裏切るシーンです。
そう、この男こそ、キュロス大王。
のちにギリシャ諸国やアレクサンドロス大王と死闘を繰り広げることになるアケネメス朝ペルシア帝国を築いた偉大な創始者です。
メディアを滅ぼしたキュロス大王は、勢いに乗って続いて北のリディアも滅ぼします。
残るは、バビロンの栄華を誇る世界最強の新バビロニア王国のみ。
しかし、ネブカドネザル2世が築いた不滅の都バビロンは文字通り難攻不落の要塞でした。
新バビロニア最後の王であるナボニドスは、王国の中央集権化のため、多数の地方神をバビロニアに集めて祀っていました。
しかし、本来の支配神ベル・マルドゥックの神官たちはこれに不満を抱いていました。
そこにつけ込んだキュロス大王は、神官たちから内応の約束を取り付けました。
さらに、ネブカドネザル2世が造った人造湖にユーフラテス川の水を流し込み、川底を通って城内に進入することに成功しました。
こうしたキュロス大王の鮮やかな策謀により、紀元前539年、新バビロニア王国は滅びました。
こうしてオリエント世界をアケネメス朝ペルシア帝国が支配することになります。
ペルシア帝国は、これまでに存在したアッカドもアッシリアもバビロニアをも上回る強大な帝国となりました。
キュロス大王は、ネブカドネザル2世によって囚われていたユダヤ人たちを解放しました。
このため、キュロス大王はユダヤ人にとっては救世主とされています(イザヤ書45章1節)。
諸王の王
ヘロドトスの『歴史』によれば、キュロスはカスピ海の東側に住むマッサゲタイ族との戦いで戦死したとされています。
その後、紀元前525年にキュロスの息子カンビュセス2世はエジプト第26王朝を併合して古代オリエント世界を統一しました。
大帝国ペルシアの君主は、王の中の王もしくは諸王の王(シャー・アン・シャー)(King of Kings/Shahanshah)と呼ばれ、アケネメス朝ペルシア帝国は220年もの長きにわたって、広大な領土に君臨し続けました。
それはこれまでに登場したどの王国と比べても強大であり、まさに史上空前の大帝国でした。
そのような大帝国の礎を築いたキュロス大王は、同時にそれまでの歴史上最も偉大な王といってよいでしょう。
この史上空前の大帝国であるアケネメス朝ペルシア帝国はダレイオス大王のときに最盛期を迎えますが、その後ペルシアが打ち破られるのは、一人のマケドニア人の若き王の登場を待たなくてはなりません。
その話はまた次回にしましょう。
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