永遠の0におけるタイコンデロガ
百田尚樹の小説『永遠の0』は零戦や特攻などをテーマにした小説で、累計400万部以上を売り、2013年には映画化され、観客動員数は700万人、累計興行収入86億円を突破、歴代の邦画実写映画で6位にランクインする大ヒットを記録したことで知られています。
この小説のプロローグとエピローグでは、主人公である宮部久蔵が零式戦闘機でアメリカのエセックス級航空母艦である「タイコンデロガ」に特攻をかけた場面を、タイコンデロガの乗組員からの視点で描かれています。
この、小説中における宮部による特攻は、終戦間近の昭和20年8月のこととされています。
実際のタイコンデロガ
タイコンデロガは昭和20年1月21日に台湾沖において実際に零戦2機の急降下突入を受けています。
その後タイコンデロガは5月以降に損害を受けた記録はありません。
8月には東日本の沖にいて、帝國陸海軍の抵抗もほとんど潰え去った中、艦載機を飛ばして工場や港を攻撃していました。
以下は、特攻を受けたタイコンデロガの写真です。
特攻の成功確率はどのくらいだったのか
実際に特攻の成功確率はどのようなものだったのでしょうか?
前回のエントリでも書いたように特攻作戦が開始されたのはレイテ沖海戦のときです。
その後、フィリピンから台湾、硫黄島あたりまでだと海軍315機、陸軍253機の計568機が出撃しており、そのうち命中111機、至近43機となり、至近命中を含む命中率は27.3%となります。
特攻機対策が強化された沖縄戦では、沖縄方面での特攻作戦に参加した3,461機中、体当たりで散った機数は海軍983機、陸軍932機の計1,915機で、その内132機が命中、122機が至近弾となり、至近命中を含めた命中率は13.2%となっています。
これらの全期間の数字を合計すると、特攻機の総出撃数2,483機(海軍1,298機、陸軍1185機)、命中243機、至近165機となり、トータルの命中率は16.4%となります。
関大尉率いる敷島隊の特攻は特攻作戦の全期間を通じて最大の戦果を上げたといってよいでしょう。あくまで米軍が想定していない不意打ちであったことが大きな理由として考えられます。「七面鳥撃ち」と米海軍がいうほどの惨禍となったマリアナ沖海戦以降、米海軍はレーダーを装備し、すさまじいまでの対空砲火を備えてきました。また、米海軍にはグラマンF6FヘルキャットやP-51ムスタングといった日本海軍の戦闘機の性能を圧倒的に上回る戦闘機を戦場に送り込んできます。一方で日本側は熟練搭乗員の数が減っていき、まともに飛行機を飛ばすこともできない予科練や予備学生が特攻隊員となっていきました。
グラマンF6F ヘルキャット
ノースアメリカンP-51 ムスタング
このように彼我の戦力差が決定的になっていくに連れ、特攻の成功確率が下がっていくことは至極当然のことであったといってよいでしょう。
なぜタイコンデロガを取り上げたのか
小説はあくまでフィクションなので、上記のように日時や場所が違うということをもって小説の価値が決まるものではないことは当然ですが、その他の記載の正確性と比較した場合、違和感があることも確かです。
タイコンデロガに限らず、エセックス級空母は何度か特攻を受けています。
1944年11月25日 フィリピン・ルソン島沖 エセックス
1945年3月19日 九州沖 フランクリン
1945年5月11日 沖縄近海 バンカーヒル
上記のような成功確率であるにもかかわらずタイコンデロガに突撃した搭乗員が実際にいたことなどを考えると、宮部は単にエセックス級空母に特攻をかけたという設定にする方法もあったのではないかと思いました。