キュロス大王の以降のペルシャ帝国
さあ、古代オリエントシリーズ第3弾です。
今日はペルシャ帝国の版図を最大限に広げたダレイオス大王が登場します。
前回までの流れの中で、偉大なる史上空前の大帝国アケネメス朝ペルシャ帝国は、キュロス大王によって建国されました。
いまだにイランの人々はキュロス大王こそが建国の父といいます。
オリエント地域を超えて、エーゲ海からインダス川まで支配したアケネメス朝ですが、キュロス大王は紀元前530年にアジア遠征中に死亡します。
後を継いだのは長子であるカンビュセス2世。
カンビュセス2世は父親に似て、有能な君主でした。
彼は、エジプトを支配し、リビアから中央アジアに到るまで帝国の版図を広げます。
帝国内の宮廷クーデター
しかし、そんな有能な君主であるカンビュセス2世がエジプトに遠征している合間にペルシャで権力を簒奪する者が現れていたのです。
それは、マゴスの祭司であるガウマータ。
彼は、カンビュセス2世が実弟バルディヤを殺したことを理由に、この男とその仲間7名の貴族がキュロスの嫡子と名乗りでて、ペルシャで実権を握っていたのでした。
紀元前522年の春、カンビュセス2世がこれを討とうと遠征先からペルシャに帰還する途中で、急死してしまいます。
この7人の簒奪者の中の1人がダレイオスでした。
ところが、紀元前522年9月末、ガウマータは、他の仲間と内輪もめを起こして殺されてしまいます。
混乱する大帝国で誰が帝位を継承するのか。
7人の間の議論によって、最終的にダレイオスが帝王として選ばれます。
簒奪者ダレイオス
この辺りの一連の歴史はどうにもこうにも怪しいものです。
ガウマータについて、歴史家の間ではその存在すら疑問を呈されています。
ダレイオスは、キュロスのアケネメス家の一門とされていますが、それも非常に怪しい。
王はアケネメス全部族の中野さらにパサルガダエ族系列の出身でしたが、ダレイオスはそうでなかったと言われています。
ともかく、ダレイオスは、キュロスの娘2人と結婚し、自らが帝国の正統な継承者であることを示そうとします。
これは成り上がり者や簒奪者が取る手管で、この後も、ボズワースの戦いの勝者となった後リチャード3世の娘と結婚してイングランドのテューダー朝を開いたヘンリー7世や、賤ヶ岳の戦いに勝利した後、主君である織田信長の姪である茶々(淀君)を妻として迎え入れた羽柴秀吉(豊臣秀吉)、第五次対仏大同盟を打ち破った後ハプスブルグ家の皇女を娶って自らフランス皇帝となったナポレオンなど、枚挙に暇がありません。
これはいつも権力の簒奪者が、その正統性をでっち上げるために行う手法なのです。
人類史上最高の帝王
しかし仮に簒奪者であったとしても、ダレイオスは極めて、いや人類史上最高といっていいほど有能な帝王だったのです。
即位後にエラムやメディア、バビロンなどで、ダレイオスの王権に異を唱えて独立を主張する地域が続出しますが、ダレイオスはこれらの反乱を次々と鎮圧します。
反乱を鎮圧し終えると、ダレイオスは帝国の版図をよりいっそう広げるべく、新たな征服戦争を開始します。
そして何より彼は、戦争に強かっただけでなく、統治の才をいかんなく発揮するのでした。
ダレイオスが取った統治のしくみは列挙してもきりがありませんが、 一部をここに挙げます。
- 全土を20州に区分して総督によって統治させた有名な分割委任方式
- 人種主義の薄い緩やかな連合体としての政治・行政組織
- 特定の宗教を押し付けることのない寛容な文化・社会政策
- 帝国全体にわたる統一税制と統一度量衡の施行
- 「王の道」と呼ばれる幹線道路と駅伝制の整備
- 金銀貨幣の鋳造と貨幣経済の導入
- 政府主導による通商・交易の活性化と国家財政の安定
それは、国家・社会・経済・文化における、ほとんどすべての要点を網羅していました。
ダレイオスは都市の建設にも力を注ぎました。
旧メディア王国のエクタバナ、旧バビロニア王国のバビロン、旧エラム王国のスーサ、そしてペルシャのパサルガダエとペルセポリス。
ダレイオスはこれらの諸都市をすべて整備し、いずれもが首都としての機能を十分に有するほどでした。
ダレイオスは、これらの諸都市を互いに連携させ、気の遠くなるほど広大な大帝国の版図を保持したのでした。
アム河からミスル(エジプト)までがおおまかに言ってアケネメス朝の領域であり、アム河からこちらは、「イーラーン」と呼ばれ、文明世界とし、アム河から向こうの地は、「トゥーラーン」と呼ばれ、蛮族の地とされました。
「ペルシャ」は西洋側からの他称であり、「イラン」こそが彼らの文明の中心としての誇りを表す自称なのです。
キュロスによって創られた帝国は、ダレイオスによって文字通り「史上空前の大帝国」に作り替えられました。
(出典:http://www.kpinet.com/vodafone/word_library_detail.cfm?id=8625043)
歴史家の杉山正明氏は、次のように言います。
秦の始皇帝による統一化政策など、まったくはこの引き写しである(というよりもその半分もなされていない)。
ほぼ一代でなしとげられたといっていい国家建設の壮大さ、根本性において、世界史上、ダレイオスに比肩できるのはひょっとして後述するクビライくらいかもしれない。
極端にいえば、ダレイオス以降、古今東西のあらゆる国家・政権は、じつは現在もふくめて、ダレイオスの影響下にあるとさえいっていいかもしれない。
その意味では、アレクサンドロスなどは、しょせんはダレイオスの追随者か、かれに憧れた一種の「ファン」にすぎないとさえいえるだろう。
杉山正明『遊牧民から見た世界史』
このように、クビライと並ぶ人類史上最高の支配者の一人、ダレイオス大王によってアケネメス朝ペルシャはその最盛期を迎えたのでした。
しかし、ダレイオスは、スキタイ戦役で苦渋をなめ、そしてギリシャとの戦争のさなかに死んでしまいます。
その後、ペルシャはギリシャとの戦争を続けていきますが、やがてマケドニアに突如現れた若い王に滅ぼされるのです。
そう、ダレイオスに憧れた若き王、アレクサンドロスに。
ここに出ている「ダレイオス」とはダレイオス1世の事でしょうか?
当たり前でしょw
キュロスの頃に大体されてる政策では…?