第一航空艦隊とは
第一航空艦隊とは、旧日本海軍の空母艦隊及び基地航空部隊のことをいいます。旧海軍はこの艦隊を中核に他の艦艇を合わせ、世界初の空母機動部隊として運用しました。
第一航空艦隊は、1941年(昭和16年)4月10日、南雲忠一海軍中将を司令長官、草鹿龍之介少将を艦隊参謀長として編成されました。
当初は、第一航空戦隊、第二航空戦隊から編成されましたが、太平洋戦争開戦直前に第五航空戦隊が編入されています。
ドレッドノート以来、世界の海軍は弩級、超弩級の戦艦を作り続けてきました。
相手より大きく相手より強い戦艦を作って海上の支配権を取ること、これを「大艦巨砲主義」といいます。
しかし、とどまるところを知らない建艦競争は各国を無限の財政難地獄に陥れることになりかねないので、ワシントン海軍軍縮条約で主力戦艦の保有割合が定められました。
そのころ同時に航空機を中心とした艦隊を用いるべしとする航空主兵論が巻き起こっています。
とにかく速く遠くにいくには航空機以上のものは当時なかったからです。
航空機をより効率的に運用するには航空母艦が必要となります。
そこで、日本は建造予定だった戦艦の一部を空母に変更して建造します。それが「赤城」「加賀」です。
当時の海軍といえば、イギリス、アメリカ、日本がTOP3 でした。
いずれも空母を持っていましたが、空母をまとめて編成した機動部隊をつくったのは日本が最初でした。
ワシントン海軍軍縮条約によって海軍力の制約を余儀なくされた日本だからこそ、このようなパラダイムシフトを起こすことに成功したといえるでしょう。
第一航空艦隊=南雲機動部隊の実質的なデビュー戦は真珠湾攻撃。
空母から発艦した航空機によりたちまちに戦艦を一挙に5隻も沈めてしまうという大戦果。
まさに大艦巨砲主義の終わりを告げる、空母を中心とする機動部隊の時代の幕開けでした。
真珠湾攻撃以降も、ラバウル攻略、ポートダーウィン空襲、セイロン沖海戦と、南はニューギニアから西はインド洋まで、まさに縦横無尽の暴れっぷりを見せた南雲機動部隊は、当時世界一の機動艦隊であり、世界最強の海軍勢力でした。
それでは世界最強と謳われた真珠湾攻撃時点での編制を見てみましょう。
第一航空艦隊の編制(1941年)
第一航空戦隊
第一航空戦隊は、正規空母赤城、加賀を中心として編成されており、第一航空艦隊の司令長官である南雲中将が直率していました。
赤城と加賀は、ワシントン海軍軍縮条約を受けて、建造予定だった巡洋戦艦の艦種を変更し、空母として建造されました。
当時、世界最強の機動部隊の中心はあくまで第一航空戦隊、通称「一航戦」でした。
特に技量に優れたパイロットが一航戦に揃っており、二航戦、五航戦よりもはるかに上に位置づけられたいたいわばエース部隊だったそうです。
赤城
排水量:41,300t
当初はイギリス空母のフューリアスを参考にし、三段式甲板だったのですが、後に近代化改装により全通式に変えています。
セイロン沖海戦では、イギリス空母「ハーミズ」や重巡「ドーセットシャー」を撃沈しています。
ミッドウェー海戦で、SBDドーントレスの急降下爆撃を受けて大炎上し、最後は沈んでいきました。
加賀
排水量:42,541t
こちらも本来なら空母ではなかったのですが、ワシントン海軍軍縮条約と関東大震災により数奇な運命を経て、航空母艦となりました。
セイロン沖海戦には参加しませんでしたが、ほぼ赤城と一緒に行動をしています。
ミッドウェー海戦にて米軍機動部隊の奇襲を受けて沈没しています。
曙
潮
漣
南雲忠一中将
本来は水雷屋だったのです。
第二航空戦隊
空母「蒼龍」「飛龍」を主力とし、その他護衛用の第23駆逐隊を従えて、第一航空艦隊を構成する部隊の1つとして編成されていました。
初代司令官は名称の呼び声高い、山口多聞少将。
一航戦と同じ経歴をたどり、真珠湾攻撃、ウェーク島攻撃、ポートダーウィン攻撃、セイロン沖海戦と快進撃を続けましたが、ミッドウェー海戦で主力空母2隻を失い解隊されてしまいました(その後7月に、空母「隼鷹」「飛鷹」「龍驤」で再建されています)。
蒼龍
排水量:18,500t
蒼龍型正規空母一番艦。中型空母であるものの当時の最新技術が盛り込まれていました。
34.5ノットと日本海軍でもっとも速い空母でした。
ミッドウェー海戦にて撃沈。
飛龍
排水量:20,165t
蒼龍の姉妹艦ではあるものの相違点も多く、飛龍型空母一番艦とされています。
真珠湾攻撃以降すべての作戦に参加しており、まさに日本海軍の立役者。
ミッドウェー海戦では打撃を受けるもの、そこから山口多聞少将の指揮のもと、残存航空戦力をかきあつめ、ヨークタウンへの反撃を開始。
これを撃沈します。
その後艦は、山口少将とともに沈んでいきました。
二航戦の駆逐艦たち(第23駆逐隊)
菊月
夕月
卯月
山口多聞少将
古今無双の名将です。
第五航空戦隊
当時の日本海軍の空母建造技術の粋を集めた最新鋭艦、翔鶴型空母「翔鶴」「瑞鶴」と護衛の駆逐艦「朧」「秋雲」で編成されていました。
ミッドウェー海戦での敗北後に解隊され、翔鶴と瑞鶴は新たに編成された第一航空戦隊に所属しています。
司令長官は、原忠一少将。
一航戦、二航戦と比較して操縦士の練度において劣ると言われ、「チョウチョ、トンボも鳥ならば、五航戦も鳥のうち」と揶揄されていました。
翔鶴
排水量:29,800t
まさに日本の最新鋭空母です。
姉妹艦の「瑞鶴」との作戦行動時には、決まって本艦が損害を受けることが多かったので、お姉さんぽい艦といえるでしょう。
珊瑚海海戦では、史上初の空母同士の対決で、米空母「レキシントン」を撃破し、「ヨークタウン」を大破させています。
さらに、第二次ソロモン海戦では、「ホーネット」を大破させ、「エンタープライズ」を炎上させています。
姉妹艦「瑞鶴」とともに、武功高き艦です。
しかし、マリアナ沖海戦で米潜水艦の雷撃により沈没してしまいました。
瑞鶴
排水量:29,330t
日本海軍武勲随一の空母と言っていいでしょう。
太平洋からインド洋まで転戦しました。日本の機動部隊が勝利した時、その栄光は常に瑞鶴とともにありました。
真珠湾攻撃、珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦等の海戦に参加しています。
1944年10月25日のエンガノ岬沖海戦において、米軍機動部隊艦載機の攻撃により沈没しました。
姉妹艦「翔鶴」と対照的に、マリアナ沖海戦まで一発も被弾しなかった幸運艦でした。
駆逐艦
朧
このほかに駆逐艦秋雲が帰属していました。
原忠一少将
あだなは「キングコング」。
真珠湾攻撃以来、ミッドウェー海戦までは、まさに向かうところ敵なしの第一航空艦隊は、大艦巨砲主義から航空主兵論へのパラダイムシフトの先鋒をつとめました。
この後、世界の海軍は、巨大な戦艦から空母を中心とした機動部隊で編成されていくようになります。
栄光の第一航空艦隊、その業績はまさに海戦史に残る偉大なものであったといってよいでしょう。
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