首都とは?
日本の首都はどこでしょうか。
この問に対しては、ほとんどの人が「東京」と回答することと思われます。
ところが、日本の首都が東京であるかどうかには、実は争いがあるのです。
一般的に、「首都」とは、一国の中心となる都市のことを指し、ほとんどの場合にはその国の中央政府が所在し、国家元首等の国の最高指導者が拠点とする都市のことをいいます。
日本の場合は、天皇が国家元首とされてきたために、平安京遷都以降については京都を首都と解するのが一般的なようにも思われますが、それにしても鎌倉時代や江戸時代には、武家政権が関東に所在していたため、京都と鎌倉や江戸が複数の首都として機能していたという「複都制」を主張する人もいます。
「そうはいっても、明治2年に明治天皇が東京に移り住んでからは、東京が首都でいいのでは?」と考えるのが普通のようにも思われますが、現在も法律上では「どの都市が首都であるか」という明確な定義がなされていないのです。
かつては、「首都建設法」(昭和25年法律第219号)という法律が、東京都を首都と解していたのですが、同法は1956年に廃止されてしまっていて、なんと現行の法令で「首都」について直接的な表現を用いて定めるものはないのです。
いまだに京都は都なのか?
東京を首都として明確に定義した法令がないということは、驚きですよね。
ちなみに遷都を行う際には、そのときの天皇が『何時いっか何処々々に都を遷す』と宣言しています。
いわゆる『遷都の詔勅』と呼ばれるもので、和銅3年(710年)の平城京遷都、延暦13年(794年)の平安京遷都の折にも、発せられています。
もちろん、『東京遷都』に際しても、慶応4年(1868年) 7月17日に、明治天皇が『江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書』を発しています。
しかし、上記の詔書の原文では「因テ自今、江戸ヲ稱シテ東京トセン。是朕ノ海内一家、東西同視スル所以ナリ。衆庶、此意ヲ體セヨ」となっており、都を遷すとはどこにも書かれていません。ただ江戸の呼称を「東京」と変え、さらに「衆庶、此意ヲ體セヨ」と書いてあるだけで、この詔では東京に都を遷すと宣言したことにはなっていません。
また、この『江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書』が出された翌月の8月27日に明治天皇は京都で即位され、即位の宣命には「掛けまくも畏き平安京に御宇す倭根子天皇(やまとねこのすめらみこと)が宣りたまふ」と書かれており、この時点ではまだ京都が都であることは明白です。
明治2年(1869年)3月28日、明治天皇が東京に着き、江戸城改め皇城へと入りました。
そして、明治天皇が、明治2年3月に東京に行かれたのは「行幸」であって、「行幸」とは天皇が一時的にご旅行されることです。
ご旅行が終われば、当然京都へ還幸されることを意味しています。明治天皇は京都に正式に還幸されないまま崩御されたという事になります。
実際に、このとき明治天皇は、「ちょっと(東京へ)行って来る」と言って、京都を出たと言います。
「ちょっと行って来る」と言う以上、当然、「暫くしたら(京都へ)帰って来る」と言う訳で、当時の京都の人達は、東京への『遷都』では無く、あくまで『行幸』だと考えていたと言えます。
また、依然として京都御所の紫宸殿に高御座が残されていることは、未だに「東京が一時的な代理的首都」であることを意味しているともいえます。
おそらく、当時の状況からすると、大々的に「東京を都とする」と打ち出すことは、諸処にはばかられるところがあったのでしょう。
明治政府自体ができたばかりの新米政権でしたし、天皇が東京に移って安定した状態に入るかどうかが不明なこの時点では、あえて曖昧な状態にしておくことで、後にどのようにでも対処できるようにしておいたのではないでしょうか。
(巻末付録)法令による解釈論
東京が首都であると明確に定義した法令が無いため、旧法、現行法及び慣習法の読み方によって、東京(東京都)を唯一の首都と解する人達もいるようです。
江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書による解釈
1868年(明治元年)、天皇が京都から東京へ行幸するに際して発せられた「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」には、「首都」の語はありませんが、元来、首都の意味を含有していた「京」を地名に付したことから、この詔書によって、東京を京都と並び首都とすること(複都論)を定めたと解する立場があります
江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書(1868年9月3日(明治元年7月17日))
朕今万機ヲ親裁シ億兆ヲ綏撫ス江戸ハ東国第一ノ大鎭四方輻湊ノ地宜シク親臨以テ其政ヲ視ルヘシ因テ自今江戸ヲ称シテ東京トセン是朕ノ海内一家東西同視スル所以ナリ衆庶此意ヲ体セヨ
関東大震災直後ノ詔書による解釈
1923年(大正12年)に発せられた「関東大震災直後ノ詔書」では、東京が首都であることを既定のこととして記載された文言が出てきます。
関東大震災直後ノ詔書(1923年(大正12年}9月12日)
…抑モ東京ハ帝国ノ首都ニシテ政治経済ノ枢軸トナリ国民文化ノ源泉トナリテ民衆一般ノ瞻仰スル所ナリ一朝不慮ノ災害ニ罹リテ今ヤ其ノ旧形ヲ留メスト雖依然トシテ我国都タル地位ヲ失ハス是ヲ以テ其ノ善後策ハ独リ旧態ヲ回復スルニ止マラス進ンテ将来ノ発展ヲ図リ以テ巷衢ノ面目ヲ新ニセサルヘカラス…
東京都制
東京都制による解釈
1943年(昭和18年)に制定された「東京都制」(昭和18年法律第89号)は、太平洋戦争下における、いわゆる戦時法制の一つであり、その目的は「帝都たる東京に真の国家的性格に適応する体制を整備確立すること」、「帝都に於ける従来の府市併存の弊を解消し、帝都一般行政の、一元的にして強力な遂行を期すること」、「帝都行政の根本的刷新と高度の効率化を図ること」にあったといわれています。
この東京都制は、1947年(昭和22年)の地方自治法の施行に伴い廃止されました。
首都建設法による解釈
1950年(昭和25年)には、東京都を日本の首都として新しく計画することが明確に定められた「首都建設法」が制定されています。
首都建設法(昭和25年法律第219号)
第一条 この法律は、東京都を新しく我が平和国家の首都として十分にその政治、経済、文化等についての機能を発揮し得るよう計画し、建設することを目的とする。
第十二条 東京都の区域により行う都市計画事業については、東京都が国の首都であることにかんがみて必要と認めるときは、建設省、運輸省その他その事業の内容である事項を主管する行政官庁がこれを執行することができる。(後略)
首都圏整備法(現行法)による解釈
首都圏整備法は、首都建設法を強化したもので、首都建設委員会が作成した衛星都市整備促進法案、工業整備法案を統合したものでした。
首都圏整備法(昭和31年法律第83号)
(定義)
第二条 この法律で「首都圏」とは、東京都の区域及び政令で定めるその周辺の地域を一体とした広域をいう。
附則
(首都建設法の廃止)
4 首都建設法(昭和二十五年法律第二百十九号)は、廃止する。
首都圏整備法施行令(現行法)
首都圏整備法を受け、「内閣は、首都圏整備法 (昭和三十一年法律第八十三号)の規定に基き、この政令を制定する。」として首都圏整備法施行令が制定されている。
首都圏整備法施行令(昭和32年12月6日政令第333号)
(東京都の区域の周辺の地域)
第一条 首都圏整備法 (以下「法」という。)第二条第一項 の政令で定めるその周辺の地域は、埼玉県、千葉県、神奈川県、茨城県、栃木県、群馬県及び山梨県の区域とする。
首都直下地震対策特別措置法(現行法)
東京を中心とした関東地方一帯で発生が予測されている首都直下地震に対する対策の推進を定めた法律。首都中枢機能の維持と、国民の生命、身体及び財産の保護を目的とする。
首都直下地震対策特別措置法(平成25年11月29日法律第88号)
(定義)
第二条 この法律において「首都直下地震」とは、東京圏(東京都、埼玉県、千葉県及び神奈川県の区域並びに茨城県の区域のうち政令で定める区域をいう。次項において同じ。)及びその周辺の地域における地殻の境界又はその内部を震源とする大規模な地震をいう。
2 この法律において「首都中枢機能」とは、東京圏における政治、行政、経済等の中枢機能をいう。
以前からずっと「天皇家はいつまで江戸城に居られるのだろう」と疑問に思っていました。
天皇家の御住いは『御所』の筈だと考えていますから。
天皇家を京都に還したくない力があるのでしょうか?
まぁ京都に首都が戻ったところで土地が狭いので、急激に東京や大阪を凌ぐ大都会になるとは思えない
せいぜいワシントンDCレベルでしょう。
ただ天皇だけ戻ってほしいというのは虫が良すぎる…
首都は政府・最高裁・国家機関・大使館これらを丸ごと抱える義務があります。
だから戻るんじゃなくて東京は都にあらず
って話しでしょ
日本の首都は京都です。東京はただの経済的な中心都市にすぎません。私は東京生まれ東京育ちなので、これまでは東京が日本の首都であると言われれば、ああそうなんだ。と何の疑いも持ちませんでしたが、いろいろ歴史を学び、京都、奈良にも毎年のように訪問するにつれて日本を代表する土地は一体何処なんだろうか?という疑問が自分の中に溢れてくるのを最近になって意識し始めました。京都、奈良には日本の圧倒的な歴史が存在します。しかしながらこれまで、歴史的な一面だけが捉えられて、政治、経済的な面は実質的にも注目されませんでした。それは、あまりにも地政学的に重要な土地であるが故に何度も踏みにじられ、利用されてきたことによって本来の価値が日本人の意識から消えてしまったからではないでしょうか?日本人は今一度日本の価値というものを見直す時に来ていると思います。それは、歴史を見つめなおすということに尽きるのではないでしょうか。